沖縄パーク 「ディズニーにも負けない」
- 2024年3月18日
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ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の再建で知られる森岡毅氏が率いる刀(大阪市)が、旋風を巻き起こしている。得意のマーケティングを生かした事業再生や新事業の数々。
陰の主役が、森岡氏のビジョンに共鳴し集まった約100人の異能集団だ。経歴や専門はさまざまだが、「日本を変えたい」との思いは共通する。森岡氏、そして刀はどのようにして科学的手法に磨きをかけているのか。その知られざる素顔から、停滞を打ち破るためのヒントを探る。(文中敬称略)
那覇空港から車で北に1時間強。沖縄県名護市と今帰仁村にまたがるエリアに、やんばるの森が一面に広がる。多様な生態系が育まれている亜熱帯のこの地が、大きく変わろうとしている。
2025年、森岡毅率いる刀が主導して手掛けるテーマパーク「ジャングリア」が開業する。刀が11月27日、東京都内の記者会見で発表した。刀の最高経営責任者(CEO)である森岡は「沖縄の大自然だからこそ得られる究極の興奮と本物のぜいたくを楽しめる内容にする」と話した。敷地面積は約60万m2で東京ディズニーランド(TDL)やユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、大阪市)を上回る。
11月27日の記者会見で「ジャングリア」の開業を発表した刀の森岡毅CEO(中央)と運営会社ジャパンエンターテイメントの加藤健史CEO(右)、森崎奈穂美CMO(写真=ジャパンエンターテイメント)
総事業費は約700億円で、今年2月に工事を開始。刀が最大株主となる会社「ジャパンエンターテイメント」(名護市)が運営する。オリオンビールと小売業のリウボウ、不動産のゆがふホールディングス(HD)の地元3社のほか、県外の大手企業も出資するオールジャパン体制だ。
ブランドイメージは「パワーバカンス」。ここに来れば大自然からパワーをもらえるとの設定だ。
気球に乗って大自然の海や森を見渡す遊覧や「やんばる」の上を滑空するジップライン、最新技術が駆使された、装甲車に乗りながら肉食恐竜から逃げるサファリライドといった体験を提供。鳥の巣を模したレストランやインフィニティスパなど、ゆったりとした時間を楽しめる施設もある。
全部で数十のアトラクションを設ける。
入場客数は美ら海水族館がコロナ前に集客していた年300万~400万人に追いつきたいとしたが、「(美ら海の)半分の集客でも十分採算は取れる」と森岡。
当初は国内中心に集客を始め、徐々に訪日外国人を増やす。25年開業時に使用する敷地は全体の半分で、今後は残った土地に宿泊施設の建設も検討する。
「ジャングリア」のイメージ映像(提供=ジャパンエンターテイメント)
「沖縄はハワイを超える」
構想が生まれたのは12年前。森岡は10年、入場客数が低迷していたユー・エス・ジェイ(USJの運営会社)に入社した。森岡が作った再生計画である3段ロケット構想で、「ハリー・ポッター」エリア開業に次ぐ第3弾に位置づけたのが沖縄パークだった。
当時、東日本大震災が起こるなど日本は閉塞感に包まれていた。12年の訪日外国人数は19年の約4分の1の836万人にとどまっていた。それでも、森岡には観光客数が増える沖縄の未来が見えた。数学マーケティングによる予測がそれを示していた。
「片道4時間圏内に20億人もの人口を抱える沖縄には、ハワイを超えるポテンシャルがあります」
15年春、USJの最高マーケティング責任者(CMO)だった森岡は当時最高経営責任者(CEO)のグレン・ガンペルと共に東アジアの地図を見せながら説明していた。
相手は当時の官房長官、菅義偉。「ハワイを超えるなんて無理」と笑う者もいたが、菅は違った。
政府として沖縄振興を目指す立場にあった菅はこのときのことを「非常に印象に残っている」と振り返る。
菅が描く沖縄の未来に合致し、記者会見でもUSJの沖縄進出を支援する姿勢を示していた。
同じ頃、USJは沖縄にパークを開業する計画を明らかにした。15年夏、CEOのガンペルは「東京五輪が開催される20年開業を目指す」と発言。
パークは国営海洋博公園内の美ら海水族館近くに建設する方向で決まりかけていた。
ところが、約1週間後に調印を控える中、急転直下で事態は変わる。USJが米メディア大手コムキャストの傘下に入ることが決まったのだ。
計画は翌年白紙に。「無念すぎた」(森岡)。沖縄パーク計画の意義を繰り返し訴えたが力は及ばなかった。地元は失望感に包まれた。森岡らは約1年かけ、地元や行政関係者の元へ謝罪行脚に回った。
終盤の資金調達にも難局があった。新型コロナウイルス禍が落ち着き始めた22年春にウクライナ危機が勃発。
厳しい世界情勢を鑑み、融資を検討していたメガバンクなどがプロジェクトから離脱した。その穴を埋めるため、「日本中の地銀のうち可能性の高そうな数十行を洗い出し、全国を駆け巡った」と加藤は話す。
パーク開業時期から逆算するとぎりぎりのタイミングだったが、何とか資金調達のめどを付けた。
沖縄の観光客数は訪日外国人を中心に着実に増加。18年度に年間観光客数が初めて1000万人を突破し、米ハワイと肩を並べた。交通インフラの整備も進み、20年、那覇空港第2滑走路の供用開始により発着回数が1.8倍になった。
基準地価は10年連続で上昇し、23年の伸び率は全国平均1.0%に対し沖縄は全国1位の4.9%だ。
地元企業関係者は「パーク建設地周辺の土地の値段は18年ころに比べて約2倍に上昇している」と話す。
近郊でホテル建設を目指す複数の本土企業の動きが活発化。地元住民は「沖縄北部では美ら海水族館オープン以来の明るいニュース」と笑顔で話す。
アジア展開、候補地も複数
刀は沖縄パークを「1号店」に位置づける。2号店、3号店、4号店……と、さらに多くのパークをアジアに展開する構想を持つ。
1000億円以下の投資でパークを造るのがそのビジネスモデルだ。テーマパーク世界大手の米ウォルト・ディズニーや米ユニバーサル・パークス&リゾーツがパークを新設する際の投資額は最低でも4000億円程度。だが、世界を見渡してもこうした巨大パークを建設できる適地は容易に見つからない。
一方、1000億円以下の投資でパークを造る刀のビジネスモデルなら機動力ある出店ができる。
24年春の東京・お台場の「イマーシブ・フォート東京」、25年の沖縄パークの開業に次ぎ、26年の海外進出を目指す。
候補地はすでに複数あり、近く「若手を海外に派遣し現地調査する」(CFOの立見信之)。
さらに、森岡が考えているのが日本のアニメやマンガといった知的財産の活用だ。先陣を切り、イマーシブ・フォート東京で複数の知財を用いる。世界で人気の日本の「眠れる資産を生かす」。
森岡が狙うのは「バタフライエフェクト」だ。蝶の羽ばたきが巡り巡って竜巻を起こす──。1つの出来事が起点となり、のちの大きな出来事を引き起こすきっかけになるということだ。
沖縄にパークを建てるのは沖縄の振興さらには全国の地方活性化の「変化の起点」を作るため。知財を生かすのも、製造業など既存の中核産業が停滞する中、エンターテインメント・観光産業を盛り上げ「日本に新たな食いぶちをつくる」(森岡)ためだ。
「ディズニー、ユニバーサルに対抗し得る第3勢力になる。私たちには彼らに勝るマーケティングノウハウがある」と森岡は意気込む。
その武器となるのがマーケティングだ。刀が一面緑の人けの少ない沖縄の北部に700億円規模ものパークを建てると決められたのは、マーケティングによる確かな戦略があったからだ。
資金や技術はあっても、戦略が乏しいゆえに海外勢に敗北してしまった日本の産業や製品は数多い。森岡と刀は、そこに一石を投じようとしている。「どんな高い壁であっても、勝ち筋となる階段を作れば必ず上ることはできる」と森岡は強調する。
ただ、勝ち筋をつかむために欠かせない条件がある。トップの明確なビジョンと情熱、緻密なマーケティングを徹底した消費者視点の戦略、そして、際だった強みをもつ一人ひとりが同じ目的に向かって諦めることなくまい進する組織の力だ。次回は、森岡流マーケティングの神髄に迫る。
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