離職率9%の工務店 独自の人材戦略を貫く男 楓工務店・田尻忠義社長
- 2024年3月29日
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かつての年功序列制度はすっかり息をひそめ、「大転職時代」といわれるほどに転職が当たり前の時代になった。この風潮は、知名度の低い中小企業にとって大打撃だ。退職者が出ても、応募者が集まらず条件にマッチする人材を選ぶことができないからだ。
そんな打撃をもろともせず快進撃しているベンチャー企業が奈良県にある。注文住宅やリフォーム、不動産などを手がける「楓工務店(奈良市)」だ。
建築業界は他と比較して離職率の高さが際立つが、楓工務店の新卒3年目までの離職率はわずか9%。大手企業で100人を超える新卒社員を採用しても、10年後には1桁の人数しか残っていないことがザラにある業界でこの数字は驚きだ。
さらには、若手不足が深刻な問題となっている建築業界において、新卒が社員全体の7割も占め、社員の平均年齢は29歳という。ベテランが少なくては質の高い施工は難しいのではないか、と思うかもしれない。しかし、楓工務店ではなんと訴訟件数が創業以来0件。顧客満足度98%を超えているというのだ。
一般的にクレーム産業といわれる建築業界では、これも異例の数字だ。
新型コロナウイルス禍の逆境でも業績はうなぎ登りで、この10年で売り上げは6倍に成長。現在、県下の注文住宅、リフォームや不動産事業の順調な伸びに加え、保育や介護事業といった地域貢献にも力を入れる。
なぜ楓工務店は、厳しい状況にあっても理想の状況をつくり出せるのか。それは同社の田尻忠義社長独自の人材戦略にある。
無知だからこそ、限界を超えていける
住宅を購入すると、大抵の場合35年間ローンを払い続ける。言い換えれば顧客は、35年分ものローンをかけてまでの大仕事を施工者に任せるということだ。
「35年間、責任を持って顧客をサポートするために、長く続く会社をつくりたい。それには、顧客を満足させ続けることが必要」というのが田尻社長の根底にある思いだ。
建設業界で会社を長く存続させるための方法として思い浮かぶのは、売り上げを増やすために熟練の営業マンや腕の良い建築家を採用することだろう。
しかし業界経験者は、自分の過去の経験を基準にする傾向にある。業界構造の壁にぶつかったときに「それが常識だから仕方ない」と努力を放棄してしまうことがある。
「それでは自分が理想とする会社にはならない、不可能も超えていこうとする限界を知らない人材が必要だ」。そう感じた田尻社長は、知識や実務経験がない新卒学生をあえて受け入れることにした。教育には長い時間がかかってしまうが、業界慣行に惑わされず、顧客のために奮闘できる社員を確保する戦略を選んだのだ。
「家は完成するまで実物を見ることができないので、お客様は担当者で信頼に足る会社かどうかを判断する。だからこそ人への投資が重要」と田尻社長は語る。顧客満足度を第一に考えたら、結果的に常識を真っ向から覆す形となった。
理想の人材を獲得する方法として採用した、「学生に選んでもらう」スタンスの選考方法もユニークだ。面接という形を取らず、グループワークを3回、プレゼンを1回、社長面談といったように、5次におよぶ選考で、学生に「『笑顔を創造し続ける』という会社の理念に共感できるか」「自分はこの会社でどんな人材に成長したいのか」を考えてもらう。
学生は、各選考において会社とのマッチング度合いを数値化される。その数字を見て、学生自身が選考を継続するかどうかを決める。最終段階でマッチング度が100%でない場合、先輩社員が懸念事項をヒアリングしたり、さらなる情報提供をしたりする。学生の主体性を最大限重んじることで、入り口時点でのミスマッチを防いでいるという。
住宅建築を行う多くの企業は通常、長年業界に携わる専門家のみでチームを組んで住宅の施工に当たる。それに対し楓工務店は、選考段階から会社の理念に深く共感した新卒社員をメインにチームを構成し、住宅づくりに入る前から顧客満足度の向上に徹する。
顧客と認識のずれが生じないよう、家の性能だけではなく会社の詳細まで事細かく説明する。新人が多いので当然ミスも多いが、クレームには顧客が満足するまで徹底的に対応する。
それだけではなく、2度と同じクレームが発生しないような仕組みづくりを検討する「再発防止会議」も即座に行う。
楓工務店では、クレームは個人のミスが原因ではなく、会社の仕組みが整っていないために発生すると考えられているからだ。仕組みに反映することで、ただの一個人のミスで終わるのではなく、次年度以降の新卒社員への財産となる。
冒頭で言及した圧倒的な新卒社員の離職率の低さの秘密も、ここに隠れている。
会社の理念にのっとり、顧客満足を徹底すること。自分のミスでさえ、未来につなげる体制があること。
そうすると、社員は「何をやっているか」ではなく「何のためにやっているか」を優先するようになる。
誰かの幸せに貢献している実感を得ることがそのままやりがいになるから、社員は常にモチベーションを高く維持しながら仕事ができるのだ。
「良い家をつくりたいけどつくれない」業界の問題点を発端に起業
とにかく「人」に対して熱い思いを持つ、彼の経営哲学はどう生まれたのか。田尻社長の過去にヒントが隠されていた。
田尻社長は1969年、奈良県に生まれた。中学時代は親の借金で苦しい生活環境だったそうだ。「とにかく貧乏で、恥ずかしい思いをたくさんしてきた」と語る彼は当時、その羞恥心に蓋をするかのように不良になり、真夜中にバイクで暴れ回るようなすさんだ生活をしていたという。
高校には行かず、15歳で日雇いの土木作業員になった。その後23歳で結婚したため、日雇いでは未来が見えなくなった。そこで将来独立できる大工になることを決めた。
親方の下で修業を積み、28歳で一人前になった。大手住宅メーカーの下請けを受注するようになったとき、ある業界構造の問題に気づく。
家の完成が楽しみな顧客は、建築中に何度も訪ねて来る。
その際実物を見て、「ここをもう少し変えてほしい」と言われることが多々あった。直接顧客とコミュニケーションしている現場の人間としては、なんとかその思いに応えたい気持ちがある。
しかし細かな変更でも元請けに確認しなければならない。コストが余計にかかることが多いため、確認しても大抵の場合「そんなこと聞くな」と一蹴されるだけだった。
「自分と関わる人を不幸にしたくない」
家は一生に一度といわれる大きな買い物だ。だからこそ、自分は精いっぱい良い家をつくりたい。しかし、元請けのスタンスによっては、顧客の希望通りにつくれないことがある。いくら自分が良い家づくりをしたいと願っていても実行できないなら、結果的に顧客を不幸にしてしまっているのではないか。
自責の念はここで終わらない。もし顧客が満足できない家をつくってしまったら、自分の子どもが「お前のおやじのつくった家、ひどいな」と心ない言葉をかけられてしまうかもしれない。
中学時代、借金という親の事情で「恥ずかしい」と感じることが多かった彼は、そこまでの状況を考えた。
そして「満足できる家をつくるために、自分でやらなあかん」と思い直した。そして、工務店の創業を決意したのだった。
自分が担当した顧客に嫌な思いをしてほしくない。家族には、自分が経験したような恥ずかしい思いをしてほしくない。つらく苦しい幼少期を経たからこその「周囲を幸せにしたい」思いが、彼を突き動かす原動力となっていた。
もちろん顧客や家族だけでなく、社員への愛も「かわいくて仕方がない」と言うほど強い。数多くある中から自分の会社を選んでくれた彼らには、「たとえやる気を失っても絶対に見捨てない」ポリシーを貫く。
入社後に判明したそれぞれの強みや興味に合わせて、部署異動させることも多い。場所や役割を変えることで、驚くほど活躍するようになった例を数多く見てきたという。
近年は住宅以外にも介護や保育にも事業を拡大し、さらに柔軟な対応が可能になった。
「事業を伸ばすための人」ではなく、「人を伸ばすための事業」を常に考えているそうだ。
2023年、楓工務店の社員数は100人の大台に乗った。「必要以上の人を入社させているから、利益は思うほど出ていない」「それでも、お金や時間と交換できない人材を手に入れているから、何も気にしていない」と田尻社長ははにかむ。
「人」に徹底的にこだわったこわもて社長の挑戦。どこまでの成長を見せてくれるか、今後も楽しみでならない。
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